2012年4月30日月曜日

楽工社|出版物 『今この世界を生きているあなたのためのサイエンス T』


 

目次
はじめに 3

●第一講 テロリズム 
1 九・一一事件──何が起きたのか? 
*ビル崩壊の主原因は飛行機衝突ではなかった 
*崩壊の主原因はジェット燃料から放出された高エネルギーと高熱 
*大爆発は起こらなかった。
  起きたのは、高熱による物体の不安定化と鉄骨の湾曲 

2 テロリストと核兵器 
*テロリストが小型核兵器を一から設計・製造できるとは
  考えられない 
*高純度のウランかプルトニウムを入手しても、
  優秀な技術者がいなければ製造は不可能 
*北朝鮮の原爆実験は失敗だった。 
  設計の二〇分の一以下の不完全爆発 
*小型核兵器によるテロが行われても、
  九・一一事件を大きく上回る被害にはならない 
*大型核兵器の製造はテロリストレベルでは不可能 
*核兵器が盗まれ密売された場合の危険性 
*放射能汚染爆弾によるテロは比較的容易。
  大きな被害にはなりにくい 
*放射能汚染爆弾については、過剰反応が危険 
*真の脅威──ならず者国家による核兵器開発 

3 バイオ・テロ 
*天然痘テロ──きわめて危険。
  実行されれば最大の犠牲者は発展途上国の人々に 
*炭疽菌テロ──手紙一通に
  推定二〇〇〇万人分の致死量の菌が入っていた 
*炭疽菌テロ──数億人分の致死量の菌がまかれたが、
  死者は五人だった。なぜか? 
*炭疽菌テロの真相──いくつかのシナリオ 
*バイオ兵器は核兵器より入手・製造しやすく使い方も容易 

2012年4月29日日曜日

お詫び:ハッチバックとハイマウントストップランプの関係|St☆Like 別館 というか、現在こっちが本館だし|ブログ|みけ|みんカラ - 車・自動車SNS(ブログ・パーツ・整備・燃費)


まずは、間違った情報を出しました。
ごめんなさい。

ハッチバックの角度と、ハイマウントストップランプの消灯は、機能的に全く関係ありませんでした。
全開でも点灯します。

と言いますのも、最近、どうも、ハイマウントストップランプが点いていない気がする。
後ろの反射を見ても、なんか点いてない気がするんですね。

2012年4月27日金曜日

人は何処へ行くのか?



40億年前、生命は灼熱の海で生まれました。たった一つの細胞からできた原始的な生命は、より複雑なものへと進化の道を歩みはじめます。やがて私達の祖先となる動物が現れました。そして、地球環境の変化と共に、陸という新世界を目指しました。地球に生命が誕生して40億年、私達人類は、その進化の果てに生まれてきました。そして、今私達はふるさとである地球を離れて宇宙へと飛び出そうとしています。もてる知識と技術を導入して、火星を第2の地球に変えようという壮大な計画です。人類は他の生命とは違う、強大な力を手にしています。その力は、どのようにしてもたらされたのでしょうか?そして、人類はどこに行こうとしているのでしょうか? . ◆ プロローグ

私達は、この「生命の扉」で、地球の環境の変化とともに様々な生命が生まれ、あるいは絶滅していく様子を見てきました。今回は、いよいよ私達自身についてです。私達人類は、現在56億人を越えています。私達のような大型の動物が、これだけ多く世界中の様々な環境に広がっているのは、それまでの生命の歴史には例のないことです。しかも今や地球環境や、他の生命に大きな影響を与える存在にまでなっています。しかし、私達人類が地球に登場したのは、ごく最近のことに過ぎません。最初の生命が誕生したのは、今から40億年前。動物や植物の元になった細胞が生まれたのは、今から20億年前のことでした。私達脊椎動物の祖先が登場したのは、今から5億年ほど前、陸上に上がったのは3億7千万年前のことでした。� �して、私達と同じ現代人が登場したのは、わずか10万年前です。生命の歴史を1年間とすると、私達現代人が登場したのは、12月31日、大晦日の深夜11時47分。私達の歴史はまだ13分にしか過ぎないのです。20万年前から、私達の脳の大きさや体の特徴は、何も変わっていません。しかし、その間に文明を築きあげ、地球の環境を変えてしまうほどの巨大な力を持つようになっていたのです。それは、これまでの生命がたどってきた進化とは、全く違う新しい型の進化なのです。その進化とは、一体どのようにもたらされたのでしょうか?

. ◆ 狩猟技術の発達と新天地、北米大陸への進出!

500万年前、アフリカの森で私達人類の祖先が生まれました。最初の人類は、ほとんどサルと同じ能力しか持っていませんでした。しかし、草原に出た人類は、その後次第に脳を大きくしていきました。10万年前、私達と同じ脳の大きさや体の特徴を持つ現代人が登場しました。人類は、アフリカ大陸だけではなく、アジア・ヨーロッパ、オセアニアへと、次々と新しい土地に進出していきました。およそ1万8千年前には、既にシベリアなど北極圏にも住んでいました。この頃の地球は、氷河期の真っ只中でした。極寒の大地を人々は北へ北へと移動していきます。当時シベリアには、トナカイなど獲物になる大型の動物が、数多くいたといわれています。北への移動は新たな獲物を求める旅だったのです。槍に使われた鋭くとが� ��た刃。当時の石器を見ると、狩猟の技術が相当進んでいたことがわかります。2万年前に作られた最古の針が発見されました。鹿の角などで出来たこの針は毛皮を縫い合わせて服を作るためのものでした。当時の人類は、厳しい寒さの中でも生きぬく知恵を、既に身につけていたのです。


人類がユーラシア大陸の東の果てへたどり着いた丁度そのころ、氷河期がもたらした偶然が、新たな道を拓きました。氷河が大量の水を封じ込めたため、海の水位が下がり、シベリアとアラスカは陸続きになっていました。こうして人類は新天地、北米大陸へと渡って行ったのです。この頃から、気温は少しずつ上昇していました。大陸を覆っていた氷河は、徐々に溶けていきました。およそ1万2千年前、氷河が広がっていた場所は草原や森に変わっていました。暖かくなっていった北米大陸は、豊富な獲物に恵まれていたと考えられています。アリゾナ州立博物館には、当時の人類の活動を示す証拠が残っています。マンモスの骨、この骨と一緒に石器が見つかっています。首筋や肋骨の間などに食い込む� �うな形で、たくさんの石器が残されています。巨大なマンモスに、当時の人類が集団で立ち向かい、命懸けで格闘した様子をうかがう事ができます。アリゾナ大学のポール・マーチン博士は、北米大陸に渡ってきた人類は、豊富な獲物を次々に取りつくしていったのではないかと考えています。ポール・マーチン博士:当時の人類は、北極圏での生活をとおして、大型動物をたやすく捕らえられるほど、狩猟について十分な経験を積んでいたはずです。その彼等が目にした北米大陸という新世界は、まるでエデンの園のような楽園に見えたのではないでしょうか?なぜなら北米大陸にいた動物達は、人類という狂暴な殺戮者には出会ったことがなかったからです。 . ◆ 人口の増加と新しい土地の獲得

巨大なマンモスをはじめ、古代バイソンやオオナマケモノなど、大型動物が次々と獲物になっていきました。人類は、獲物を追って南米大陸にも広がっていきました。南端まで達する迄に、わずか数百年しかかからなかったと、マーチン博士は指摘しています。アルゼンチンの南、パタゴニア平原。この洞窟の壁には、一面に赤い染料で様々な動物が描かれています。狩猟採集生活では、一人を養うのに10Kuの土地が必要だともいわれています。人口が増えるたびに、常に新しい土地が必要になるのです。こうして人類はあっという間に世界中に広がっていったのです。当時の人口は、500万から1千万人と推定されています。狩猟生活を続ける限り、人口をこれ以上増やすのは困難だったと考えられています。


minamurra滝
. ◆ 狩猟採集生活から定住生活へ

この頃地中海沿岸、現在のシリア北部で、人類を大きな飛躍へと導く第一歩が始まっていました。なだらかな丘が続くこの当たりには、1万年以上前の「村」の遺跡が点在しています。人類は、誕生以来移動しながら獲物を追う「狩猟採集生活」を続けてきました。しかし、ここでは1年をとおして同じ場所で暮らす「定住生活」が始まっていたのです。当時の「カマド」の跡が残っています。この「カマド」も、定住生活をしていたことを示す証拠の一つです。様々な遺跡の発掘調査が進むにつれて、当時の環境や人々の暮らしが明らかになってきました。定住生活は、どのようにして始まったのでしょうか?エール大学のムーア博士は、ここでも気候の温暖化が関係していると考えています。ア ンドリュー・ムーア博士:1万5千年前ごろから、気候は次第に温暖化になってきました。気温は上がり、雨が多くなったと考えられます。それが、荒れた大地を森林や草原に変えたのです。こうした環境の中で、恵まれた「狩猟採集生活」を行うことができました。人口は増加しました。そして私達が調査を行っている「村」の人達は、特に豊かな食料に恵まれていたので、定住という新しい生活を始めることができたのです。

. ◆ 環境に恵まれた定住生活

乾燥して荒れていた大地には、草原や森林が広がっていきました。草原にはたくさんの野生動物が住み、森には豊富な木の実がありました。1年を通して常に食料に恵まれていた環境が「定住生活」を可能にしたのです。ムーア博士が再現した当時の住居では、ポプラの木の柱を立て、アシを利用して壁や屋根を造っていきました。こうした家が何軒も連なり、村を造っていったと考えられています。豊かな実りに支えられ、村の人口はどんどん増えていきました。

. ◆ 地球規模の気候変動がもたらした食糧危機!

しかしその時、シリアから遠く離れた北米大陸では、大きな異変が起きて始めていました。当時北米大陸を覆っていた氷河は、気温の上昇と共にゆっくりと後退を続けていきました。氷河から溶けだした水が、やがて集まってを作りました。こうして北米大陸の中央に、巨大な湖が出現したのです。そこには、膨大な量の水がたたえられていました。そしてある日、湖をせき止めていた氷河が崩れ落ちたのです。巨大な湖に溜まっていた水が、一気に溢れ出ました。それは想像を越える大洪水でした。水は、北米大陸を横切って大西洋へと流れ込み、大量の真水が、暖かい海水の上にフタをするように広がりました。この出来事が、地球規模の大きな気候変動の引き金になったと考えられています。


この時起きた気候変動の様子を知る手掛かりが、今も残されています。コペンハーゲン大学のグループは、10年以上に渡ってこの氷河の分析を続けています。グリーンランドには、過去25万年間にできた氷が、厚さ3千Mに渡って積み重なっています。氷の中には当時の大気などの貴重なデータが閉じこめられています。それを分析することによって、過去の気候の変化を、直接読み取ることができるのです。取り出された1万年前の氷を見ると、年輪のように、1年ごとの層に綺麗に分かれています。そのため遠い過去に起きた気候の変化も、克明に知る事ができるのです。2万年前からの気温の変化を見てみると上昇を続けていた気温は、およそ1万1千年前急激に低下しています。気温は10度近くも下がり、氷河期の一番� ��い時期に逆戻りしてしまったのです。この急激な気温の低下は、グリーンランドだけでなく地球全体を襲いました。しかも、1千年も続くという大きな気候変動だったのです。定住という新しい暮らしを始めていたシベリアの村でも、大きな影響が広がっていました。豊かだった森や草原が消え、深刻な食料危機に直面したのではないかと考えられています。アンドリュー・ムーア博士:寒冷化がもっと早く起きていたら、それ程影響はなかったかもしれません。しかし、この時は豊かな「狩猟採集生活」に支えられて、人口はあまりにも増えすぎていました。人々は、まったく新しい生活手段を見つけださなければならなかったのです。 . ◆ 人類を襲った食糧危機が農耕生活を生み出した

危機に直面した人々は、必死に食料を探したに違いありません。ムーア博士達が発掘した遺跡からは、当時の人々が集めた植物の種子が、150種類以上も見つかっています。その中には、クローバーや馬ごやしの実など、およそ食料となりそうにないものまで含まれていました。村の周辺に生えていた植物のほとんどすべてをかき集めて、食べられるかどうか、一つ一つ試していた様子が伺えます。野生の小麦や豆も見つかりました。こちらの植物は、気候の変化に強く、乾燥や寒さの中でも生きぬく力を持っていました。植物の花粉をもとに、古代人の環境を分析している安田博士は、気候変動が当時のシリアの人々の暮らしにどんな影響を与えたのか、遺跡周辺の地層を調べています。すると、気温が低下した後の地層から小麦や� ��麦などイネ科植物の花粉が、大量に見つかりました。多くは野生のものでした。しかし野生のものに交じって、明らかに栽培されたものとわかる花粉が見つかったのです。安田博士は、この花粉こそが、人類の農耕というまったく新しい生活を始めた証拠ではないかと考えています。安田喜憲博士:1万1千年くらい前に、「寒の戻り」がやって来たのでしょう。そうすると、どうも森の生産物だけに依存して生活していたんでは、ダメになってくるんです。そして草原にあるイネ科の草木を栽培する方向にいったんじゃないかと思われます。つまり気候の寒冷化、これが食料の危機をもたらして、そして人間がやむにやまれず農耕社会、農耕の方に移っていったんではないかと思われます。


銅はどこに発見されました
. ◆ 自ら食料を作り出す新しい生き方、小麦との出合い

突然襲った寒冷化によって、シリアの村は深刻な食料危機にみまわれました。その時、シリアの村の人々は、寒さの中でたくましく生きる小麦と出会ったのです。そして小麦を大量に栽培して食料とする事を考えついたのです。小麦との出会いが、人類が他の生命とは違う道を歩くきっかけとなったのです。自然の恵みに頼っていた人類は、自ら食料を作り出すという新しい生き方を始めたのです。そして、人類が最初の栽培植物として選んだ小麦は、それにふさわしい理想的な性質を備えていました。フランス国立科学研究所のウイルコックス博士は、野生の小麦がどのようにして栽培植物に変わっていったのかを研究しています。実際に野生の小麦を育て、10年近くにわたってその変化の様子を観察してきまし� �。その結果、栽培植物として適した性質が、短い時間で生まれる事がわかりました。ジョージ・ウイルコックス博士:人間が小麦の栽培を始めると、すぐに収穫される小麦に変化が起きたと考えられています。次第に、栽培に有利なものが選択されていったのです。栽培するにつれて、小麦の粒は次第に大きくなりました。次に、小麦を包む殻にも変化が起きていました。殻がはがれやすいものに変わっていきました。こうして粒が大きく脱穀しやすい小麦が生まれていったのでしょう。

. ◆ 農耕に伴う技術の発展は人類を繁栄へと導く始まりだった

野生の小麦は、頑丈な殻に覆われていますが、栽培された小麦は殻が薄く、実が2倍も大きくなっています。植物を人間に有利な方向に変える農耕は、いわばバイオテクノロジーの始まりでもあったのです。博士は、当時の人々が持っていた技術も、農耕を始めるのに役立ったと考えています。石器でできた鎌もそのひとつです。1万年以上前の鎌がヨルダンで発見されました。動物の骨をつかった柄に、石を巧みに割って作った鋭い刃が取り付けられています。切れ味は金属製のものと変わりません。植物を栽培するのだけでは、農耕は成り立ちません。収穫から加工まで、様々な技術を持っている事が必要でした。小麦を栽培する農耕は、シリアの村だけでなく、その周辺の地域でも、ほぼ同じ時期に始まっています。ヨルダン渓谷� ��発見されたベイダ遺跡もその一つです。この遺跡で、石臼が大量に見つかりました。これは、小麦を粉にひき、パンを焼くために欠かせない道具です。農耕は自然をコントロールして食料を生産するという、まったく新しい技術でした。大量の食料が得られる反面、それまでの狩猟採集生活にはない様々な新しい労働も生み出しました。農耕は、人々の暮らしを大きく変えていったのです。1万年前、ほとんど変化のなかった人口が、農耕が始まると急激に増えはじめ、5千年前には1億に達していました。農耕は人類を繁栄へと導く始まりだったのです。

. ◆ 農業というビック・サイエンスの始まり

素朴な家が建つ小さな村の中で、農業が始まったといわれています。農業は狩猟採集生活に比べて、遥かに安定に食料を確保できる画期的なものでした。農業というのは、種をまくだけの簡単なものではありません。実は、多くの知識と知恵を生かして、はじめてできる事なのです。まず、多くの植物の中から気候の激しい変化に耐えられる、小麦という穀物を見つけ出さなければなりませんでした。そして、石臼で粉をひいて、パンを焼くという知恵も必要でした。また、畑には小麦だけでなく、豆も植えられていました。ヒツジやヤギなどの家畜も飼っていました。この組み合わせも、現代に通用する見事な知恵でした。小麦を植え続けると、土壌が弱って連作障害が発生します。そのため、一緒に豆を植え、土壌改良 をしたりしました。家畜の糞も利用されました。農業は、当時の人類が自然や生命に対する知識を総動員して成し遂げた、ビッグなサイエンスだったのです。農業は、人類が生命や地球の環境に手を加えはじめた最初なのです。この時から、人類はまったく新しい形の進化を始めたのです。人類は飛躍的に増え、複雑な社会が生まれ、さらに新しい知識を生み出していくのです。

. ◆ 農業という新しい進化、古代文明の誕生

シリア北部にあるエブラ宮殿。およそ5千年前に造られた古代都市です。人口は20万人を超え、周辺から多くの農産物が集まる取り引きの中心地でした。最古の図書館というべきエブラ王の書庫からは、くさび型文字で刻まれた粘土版が、1万5千枚も発見されました。大半は税の支払いや土地の所有権、農作物の取り引きなど、経済に関する文書でした。小麦で支払った給与の明細表も見つかっています。これらの文書は、農耕が富を生み、複雑な社会を作り上げていったことを見事に示しています。エブラ王の富と権力を象徴する金の装飾品、これらの装飾品からは、きらびやかな文化の芽生えが感じられます。農業は、これまでの生命がたどった進化の道とは違う、まったく新しい進化を人類にもたらしま� �た。チグリス・ユーフラテス川沿岸、そしてエジプトやインダス川流域でも、小麦を中心とした農耕が文明を生みました。さらに、中国でもイネを生産する独自の農耕技術が生まれ、古代の文明へと発展していきました。 シリア中部には、1千年以上も前に造られた水車が残っています。高さが30Mもある、この巨大な水車は、灌漑用の水を汲み上げる為に、今も使われています。こうした灌漑技術の進歩によって、農耕による食料の生産量は、飛躍的に増えていきました。水車を動かす巧みな知恵は、現在につながる、さまざまな技術を生み出す元にもなりました。


移民は1970年にオーストラリアへの移行理由
. ◆ 自然の法則から外れた産業革命

確かに、18世紀後半から始まった産業革命も、始めは水力を応用した技術が中心でした。そして、蒸気機関などの発明などにより、さらに飛躍的に大きな力が利用できるようになりました。やがて人類は、石炭や石油など、地球資源から膨大なエネルギーを採り出し始めました。農耕によって得られる豊かな食料だけでなく、エネルギーをも自由に使うことによって、現在に至る文明を築いてきたのです。それは自然に手を加え自然をコントロールしてきた歴史でもありました。農耕を始めてから増えつづけてきた人口は、産業革命をきっかけにさらに飛躍的に伸び、今では56億人を越えるまでになりました。56億人にも増えてしまった人類は、生命としてみた場合、どんな存在なのでしょうか?アメ� ��カ・デューク大学の動物学者、シュミット・ニールセン博士は、人類は今や生命本来の原則からは、大きくかけ離れた存在になってしまったと博士は言います。シュミット・ニールセン博士:人間は、普通の生き物が受けている、食べたり食べられたりする、自然淘汰の原則から、完全にはずれた存在なのです。人間は、自然の法則からはずれ、進化の原則からもはずれた存在なのです。

. ◆ 象と同じエネルギーを消費する人類の未来は・・・?

大自然の中で生きるさまざまな動物たち、彼らは、それぞれ微妙なバランスを保ちながら共存しています。ニールセン博士たちは、「自然に生きる動物達は、数や行動範囲そしてエネルギーの消費量などが、体の大きさによって決まっているという事を発見しました。例えば、哺乳類のエネルギー消費量を見てみると、体重が増えると、使うエネルギーも一定の割合で増えるという法則があります。人間が使うエネルギーの量は、体重でみるとヒツジとほとんど同じはずです。しかし、私達は電気やガスなど、様々なエネルギーを使って生活しています。私達日本人を例にとると、一人あたり本来生物として消費する量の40倍にもなります。私達日本人は、象とほぼ同じエネルギーを使っている事になります。さらに、人間と 同じ重さの動物の生息密度を計算してみると、地球上の陸地のすべてに住めたとしても、その数は1億8千万にしかなりません。しかし、私達の人口はその30倍以上にもなっているのです。


膨大なエネルギー消費をする私達56億の人類は、ものすごい勢いで自然を破壊し、これまで地球が貯えてきた資源を食いつくそうとしています。私達はまさに生命の原則から外れた存在なのです。未来予測の専門家として知られるデニス・メドゥス博士は、さまざまなデータを基に、人類の未来を描いています。デニス・メドゥス博士:ひとつの仮定は、政治や経済、そして社会のシステムがほとんど変化せず、現状のまま進んでいったケースです。その場合私達の未来は、破局が待ち受けているのです。地球は急激に人々を養う能力を失っていくでしょう。まず、農業に大きな影響が現れます。そして、工業生産についても、これまでのように成長を続けていくことは、ますます難しくなっていくでしょう。そして、ついに2 030年か遅くても2050年頃には、人口はこれ以上支えられなくなります。死亡率は上昇し始め、これまで増え続けてきた人口は、逆に減っていくでしょう。 . ◆ 新天地、火星改造計画!

成長の限界に行き着こうとしている人類は、その危機を脱することができるのか?今、さまざまなシナリオが検討されています。地球を離れて宇宙に進出しようという、壮大な計画も練られています。火星を地球のような環境に変えて、移住しようというのです。火星の気温は平均でマイナス60℃、大気は薄く、酸素はほとんどありません。しかし、かつて海をつくっていた大量の水は、現在極地や地下に、氷となって閉じこめられています。この水が、火星を生命の惑星に改造する重要な材料になります。計画では、まず火星の上空に巨大な反射鏡をつけた人工衛星を並べ、火星の極地を覆う氷を太陽の熱で溶かします。水蒸気は火星の表面に広がり、大気の中に溶け込んでいきます。火星改造計画には、さまざ� �な技術が動員されます。火星に造った工場から温暖化ガスを放出し、温室効果によって寒い火星を暖めていきます。やがて、大気中の水蒸気は雨となって火星の大地に降り注ぎます。雨は川となり、やがて火星に海がよみがえります。火星に海をつくるまでにおよそ100年、人間が生活できるようになるまでには、さらに10万年という時間が必要です。NASAエイムズ研究所のクリストファー・マッケイ博士は、永年この火星改造計画を研究してきました。人類の未来を考える時、地球の外に目を向ける必要があると、マッケイ博士は考えています。クリストファー・マッケイ博士:火星改造計画の目的の一つは、人間が住める場所を作るという事です。生命が、地球以外で生き残ることのできる場所を作る事です。私達が知る限り 、太陽系で生命が存在しているのは地球だけです。しかし、新天地に種を植えるように、生命を地球の外に広げ、そこに地球と同じ様な生命の惑星をつくることができるのです。

. ◆ 火星の地球化

赤い火星の大地には、光合成を行うバクテリアに続いて、植物が運び込まれ、酸素を作り出していきます。こうして火星には、緑の大地と青い空が広がっていきます。そして多くの人々が住む巨大都市を、火星に造り上げようというのです。火星改造計画は、人類が自らの手で第2の地球を作り上げようとする壮大な挑戦なのです。しかし、その実現のためには、私達の住む地球を知る事から始めなければなりません。それまでに40億年の歴史を紡いできた生命は、生き残るための新たなフロンティアを手にすることができるのでしょうか?


. ◆ 生態系の再現、バイオスフィア2の実験結果

地球の生命は、どのようなシステムを作れば生きていけるのか?具体的な研究も始まっています。アメリカ・アリゾナ州、バイオスフィア2と名付けられたこの施設には、地球の生態系がそのまま再現されています。1万3000uもある巨大なガラスドームの中には、3800種類の動植物が入れられ、熱帯雨林や海まで造られています。この施設は、外界から完全に遮断され、植物や水は、施設の中だけで自給できるように、設計されています。酸素を補給する植物は、たっぷりと植えられました。1991年9月、8人の男女が、この人工生態系の中で生活を始めました。実験は順調に進んでいるように見えました。しかし、思わぬ事態が進行していたのです。酸素濃度がじわじわ低下し、ついには生存にかかわるほどま� �下がってしまったのです。関係者は必死で酸素低下の原因を追求しましたが、なかなか突き止める事ができませんでした。


バイオスフェア2で、なぜ酸素濃度が低下したのか?その後さまざまな角度から研究が行われました。そして、最後に、施設の中にあった土が調べられました。分析の結果この土が酸素をどんどん吸収していた事がわかったのです。植物を育てるため、栄養分の豊富な土が持ち込まれていました。そのため、土の中には無数の微生物が繁殖し、呼吸のため予想以上に大量の酸素を使っていたのです。リンダ・リーさんは、植物の担当者として、当時実験に参加しました。彼女も酸素濃度低下の原因が、まさか土にあったとはわからなかったと言います。リンダ・リーさん:この土の中には、有機物がたくさん含まれていました。それが微生物によって分解されるまでには10年、いえ20年以上もかかるかもしれません。そうなって初めて� ��土の状態が安定し酸素の量も安定するのです。実験に参加して感じたことは、地球を知り、理解することがいかに難しいかということだったのです。 . ◆ 地球と生命の知ることの難しさ

バイオスフィア2の実験は、地球と生命が織り成す生態系が、いかに複雑なものであるかを教えてくれました。地球環境にとって大切な役割を担っている熱帯雨林についても、そこにどれだけの生物がいて、どのように関わって生きているのか、私達はまだよくわかっていないのです。火星に生命の世界を築こうという計画も、地球と生命のことを知らなければ、実現することは不可能なのです。クリストファー・マッケイ博士は言います。クリストファー・マッケイ博士:この計画を研究する理由のひとつは、実は地球を理解する為なのです。火星に生命の世界を作ることを考えることで、逆に地球と生命のことを知る事ができるのです。きちんと学ばないと、悲惨な結果になります。好むと好まざるとにかかわらず、人類はこの 地球と生命にたいして大きな責任があります。人類の影響はあまりにも大きく、もはや地球の自浄作用に任せておくわけにはいかないのです。ですから、私たちはもっと生命について、学ばなければならないのです。人類は、20世紀に宇宙に進出しました。そして、無限に広がる世界と考えられてきた地球が、実は小さな惑星にしかすぎないことを実感したのです。地球を包む青く輝く大気、その中で生命は共に生きています。私たちは、宇宙に出たことで初めて地球の大切さを知ったのです。

. ◆ 地球や生命の事を知る大切さ

農業を始めた1万年前、人類はまったく新しい進化の道を歩み、今の繁栄を導くことになりました。しかしそのことが今、人類が直面するさまざまな問題をもたらすことになったのです。人類は21世紀には100億人を越えるといわれています。もはや、このままの勢いで増え続けていくことはできないのです。私たちには、さらに新しい進化が求められているのかもしれません。農業を始めて以来、私たち人類は、地球環境や他の生命に手を加え、コントロールしようとしてきました。しかし、私たちは、その地球や生命について、ほとんど何も知らないことに気付いたのです。宇宙に出るようになった今、初めて地球と生命が織り成すシステムが、いかに複雑かということに気がついたのです。40億年の生命の歴史の上に、今の� ��たちがあります。人類の未来を切り開く新しい進化の道は、何よりもまず、地球や生命のことを知る事から始まるのではないでしょうか!!1万年前、農耕を始めたことで、大きな飛躍を成し遂げた私たち人類は、さらなる飛躍への道を探し出せるのでしょうか?その道を見い出すために、私たちは、これまでとは違うまったく新しい知恵を、生み出さなければならないのです!

. ◆ 編集後記

これで、「生命の扉」は完了です!生命の進化の歴史を考えた時、遺伝子DNAの進化の過程とイコールといっても過言では有りません。生命は、生き残る為の遺伝子をいかに多くコピーしながら進化するか?という歴史の中で進化してきました。
イギリスのオックスフォードで研究を続けているリチャード・ドーキンス博士は、「利己的な遺伝子」、「ブラインド・ウォッチメイカー」など、生命の進化をテーマとした著書で有名ですが、博士によると、「あらゆる生命は遺伝子の乗り物として存在しており、遺伝子の生き残りのために存在していると考えることが出来ます。遺伝子はそれぞれの遺伝子のコピーを残すことを目的にその乗り物を動かし、その数を増やす方向に働くのです。人類は遺伝子で見る限りは、生命の歴史� �延長線上にあります。遺伝子には生き残るための情報が書き込まれていますが、これは初期の生命から人類に至るまで、さまざまに枝分かれはしてきましたが、基本的な部分は同じです。生きるための情報を作り出し、蓄積する極めて巧妙な装置と見ることが出来ます。一方で、人類は脳という新しい情報装置が遺伝子とは別に進化を続けたわけです。その結果、あらゆる生命に働いてきた自然淘汰という法則に逆らうことになったのです。遺伝子とは別にこうした装置を持つことによって、人類はそれまでの進化とは別の道を歩き始めたのです。道具や火の使用はすでに狩猟採取生活の時代に生まれていました。しかし、農耕を始めたことによって、定住生活が生まれ、人が増えます。そこで必要になるのがコミュニケーションです。大 きな集団で暮らすようになるにつれて、コミュニケーションの必要性が高まり、言語が発達し、文字ができ、新しい情報の蓄積が始まったのです。」



私が思うに「生命の起源と歴史」を振り返ってみますと、そこには明らかに「共に助け合う」という共存のシステムが働いていた事がわかります。恐竜のように「TAKE AND TAKE」で生きてきた生命は、その結果、自然淘汰せざるを得ない状況に陥り、やがては絶滅に至りました。遺伝子とは別に「脳」という観点から考えてみますと、人間には他の生物には無い「大脳新皮質」という特殊な脳があります。この大脳新皮質の働きを考える時、「人間らしい生き方」の答えが見えてくると船井幸雄氏(本の扉に紹介)は断言しています。「人間は知的な意志を持っており、「思い」を実現させうる存在なのです。その「思い」を世の為、人の為、あらゆる生命の為にとって良いことに使う時、脳内モルヒネが分泌され 、その人の人生は素晴らしいものになる。」と言う事を医学的に立証したのが春山茂雄氏の「脳内革命」という本でした(本の扉で紹介)。21世紀は、精神的な心の進化の時代になると私は考えています。心を進化させ、あらゆる生命体と共に助け合うという意識がなければ、自然破壊に伴う生態系の破壊、オゾン層の破壊による紫外線問題、食糧危機、エネルギー問題など、人類の生存に関わる基本的な問題は解決されない事でしょう。明るい未来を作るのは、私達一人一人の心なのかも知れません!その「心」は遺伝子として次世代の人類へと受け継がれていく事でしょう!
.

These are our most popular posts:

続・人権のはなし4

さて、これまで私たちは、「私たちがどのように世界を認識しているのか」という問題を 考えてきました。しかし、それはあくまで私たちの認識の問題であって、「どのように世界 が存在するのか」という問題ではありません。そこで、今度は視点を変え、私たちの認識 ... read more

水はとっても貴重な資源です - オーストラリアのエコライフ - 環境goo

5 日前 ... この光のファミリーの多くのものが、ベールの私たちの側から集合意識を繋げる手助け に現れています。 ... 波動の変化 今、皆さんは地球に留まると決めたのでそのような 計画を全部変えました。 ... したがって、過去にも発生していた現象のようです。 .... この バランス達成にはイランに対する軍事行為はまったく含まれませんし、それは新しい戦場 がほかのどの国で起きても同様です。 ..... いつも頭上に輝く太陽は私たちに光と熱 エネルギーを与えてくれ、それによって日々の生活が営めるようになっています。 read more

原発がどんなものか知ってほしい(全)

どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたら いいと思います。 ... 一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされ ていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。 .... 美浜原発にいた専門官は三か 月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれ ました。 ... 原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて 、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢い で ... read more

人は何処へ行くのか?

私達は、この「生命の扉」で、地球の環境の変化とともに様々な生命が生まれ、あるいは 絶滅していく様子を見てきました。今回は、 ... しかし、その間に文明を築きあげ、地球の 環境を変えてしまうほどの巨大な力を持つようになっていたのです。それは、 .... ました。 定住生活は、どのようにして始まったのでしょうか? ... グリーンランドには、過去25万 年間にできた氷が、厚さ3千Mに渡って積み重なっています。 ... ムーア博士達が発掘 した遺跡からは、当時の人々が集めた植物の種子が、150種類以上も見つかってい ます。 read more

2012年4月26日木曜日

日本地下水学会 JAGH


「地下水」という用語の定義を教えてください

    「地下水」という用語の定義について、地下水学会としてまとめたものは残念ながらありません。しかし地下水学会の会員が中心となり「地下水」の用語について定義している身近な出版物がありますのでこれらを紹介します。
    @山本荘毅責任編集(1986)「地下水用語辞典」古今書院発行
    A佐藤邦明編著(2005)「地下水環境・資源マネージメント」埼玉大学
     出版会発行の第1章「地下水とは」ほか

    (以下@、Aの図書の一部を引用)
    @
    地下水は動的な水であり、地下水体の水とそれに接している水を厳密に区別することは困難である。例えば、地下水とその上にある毛管水帯の水を厳密に区別することは困難であり、区別することに本質的な意味は無い。この言葉はかつてsubsurface water とともに地下水の水一般を指したが、現在は
    underground water とともに飽和体の水を指すことに限定されている。
    A
    従来、地下水とは地下水面より下の帯水層に存在する飽和状態の水のことを指す用語であった。しかし、現在では地下水面より上の不飽和状態にある水も含めて地下水とする考え方が取られるようになっている。今日、地下水とは地下に賦存する水の総称である。


地球上に氷の形で存在する真水の代表例として南極やグリーンランドの氷床が挙げられますが、北極等の氷山が挙げられていないのはなぜでしょうか?

    北極は大陸ではなく、海の上に氷が浮かんでいるだけでその面積は人工衛星の観測では500〜600万平方kmであり日本の国土面積の10数倍程度です。また、北極の地域の氷山はアラスカ、グリーンランドなどから氷河の一部が海面へ流れ出たものです。氷の比重と海水の比重の関係から、海面上に顔を出した氷の約9倍の氷が海面下に隠されているのですが、以下に示すように、南極大陸やグリーンランドの氷の量に比べるとほとんど無視できる極めてわずかな量です。
    IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)の2001年の報告書によると、南極大陸には氷床として2,571万立方kmの氷が蓄えられており、その厚さは1,000mをはるかに超えます。一方、グリーンランドにある氷の体積は285万立方kmと推定されており、氷の厚さは最高3,000mを超えます。南極の氷がすべて溶けると61m、グリーンランドの氷がすべて溶けると7.2m海面が上昇すると推定されているほど莫大な氷(淡水)の量です。また、南極やグリーンランドほどではありませんが、ヒマラヤ、南アメリカのパタゴニア地方、ヨーロッパアルプス、カナダ、アラスカなどにも氷河として莫大な量の氷(淡水)が貯蔵されており、一部は大河となって貴重な淡水資源として利用されています。


湧水は地下水ですか?

    湧水も地下水に含まれます。地下水が自然に地上に湧き出してくる現象が湧出であり、その水を湧水と呼びます。湧水の定義は 別のFAQ に説明がありますのでご参照ください。

「湧水」の定義や概念を教えてください。井戸内の水も湧水と呼んでよいのでしょうか?

    湧水に決まった定義があるわけではありませんが、通常、地質条件が整い、地下水が自然に地上に湧き出してくる現象が湧出であり、その水を湧水と呼びます。武蔵野台地の崖線沿いの湧水、富山県の黒部川扇状地の湧水、富士山山麓の湧水など、各地で様々な形の湧水があります。井戸(掘り抜き井戸、突き抜き井戸)を掘削して、自然に湧き出してくる井戸は自噴井であり、湧水とは区別されるべきですが、各地でこの自噴井を湧水と呼び「名水」と称している場合があります。また、自然に湧出する水の量を増やす目的で、湧出場所の近くに井戸を掘削して湧出量を増加させる場合もありますが、これも湧水と呼ぶことが出来るか疑問です。また、地下水の自然の流れが陸地から海底、あるいは湖底まで連続している場合、海底や湖� ��に湧水がみられます。富山湾の海底湧水や琵琶湖の湖底湧水が有名です。動力(ポンプ)によりくみ上げた地下水はもちろん湧水とは呼びません。


地下水は、どうして存在しているのですか? 地中から沸いてくるのですか?

    地下水の起源は、すべて地上に降った雨や雪であり、土壌を通して地下に浸透して、砂や礫(小石)の間に溜まった水です。普通は井戸を掘って井戸水として私たちの様々な用途である、工業用水、農業用水、生活用水として利用します。地下水の溜まっている場所を帯水層と呼び、その深さは地域、場所により様々ですが、通常は数mから200〜300m程度です。地形的な条件により、湧水として地下水が地上に出てくる場所もあります。また、地下1000m以上の深い井戸を掘って各地で利用されている温泉水も、地下水の一種ですが、すべて地上から長い年月をかけて雨や雪が浸透して溜まったものです。川の流れが雨が降らなくてもすぐに途絶えないのも、地下水が河川水のもとになっているためです。地下水は貴重な水資源です。世界では� ��水道水源を地下水に依存している人口が1千万人を超えるような大都会もあります。日本では水道水源や個人の井戸として約4人に1人が毎日、水道水、飲料水として地下水を利用しています。

地下水が存在する帯水層とはどんなものですか?

    地中にしみこんだ雨や雪は、土壌層を浸透して、その下にある砂れき層に到達して地下水は誕生します。砂れき層は文字通り、砂やれき(小石)で構成されており、その間隙(すきま)が地下水の"貯留槽"になります。専門的には「帯水層」と呼ばれ、一般に砂れき層の体積の約3分の1を占めます。砂れき層の厚さは地域により様々で、数メートルから平野部では100メートル以上になる地域もあります。また、河川は川幅が広くても1キロメートル程度ですが、帯水層は平野では地域によっては何10キロメートルの幅で存在します。

地下水位の深度と帯水層の深度はどんな関係にあるのですか?

    井戸の地下水位と帯水層の深度とは直接関係がありません。例えば、井戸の水位が地表面から深度10mの位置にあるからといって、帯水層がそれと同じ深度にあるということではありません。
    地下水の種類には大きく分けて2種類、「被圧地下水」と「不圧地下水」があります。被圧地下水は上下が難透水層でサンドイッチされた状態で帯水している地下水であり、これを取水する井戸は深井戸と呼ばれます。これらの地層中の地下水は遠く離れた山地に降った雨が何年もかけてゆっくりと地下を流れてきたものです。上部は難透水層で覆われ地層に勾配があるため、この帯水層の地下水には水圧がかかっており、井戸を掘削する(難透水層に穴を開ける)と水位は帯水層の深度より上部になります。被圧が大きくなると、地下水位が地表面よりも高くなり湧水となります。
    これに対して、不圧地下水は不透水層が上部にない地下水であり、これを取水する井戸は浅井戸と呼ばれています。不圧地下水は自由地下水面と呼ばれる地下水位が存在し、揚水していない状態では地下水位と井戸の水位はほぼ一致します。降雨などにより水位は上下し、夏になると井戸が涸れた、という現象がみられることもあります。不圧地下水の地下水位の位置は帯水層の中のある深度に存在することになりますが、帯水層全てが地下水で満たされている(飽和されている)とは限らず、ある期間における地下水位の変動幅が帯水層の幅にイコールであるとも限りません。帯水層が存在しても地下水位がない(地下水が無い)場合もあります。
    ちなみに、不圧地下水は地上から直接汚染物質が浸透する可能性があり、有害物質による汚染を受けやすい地下水です。

地下水を汲みあげても汲みあげても無くならないのはなぜですか?

    雨や雪は地中に浸み込み、帯水層に溜まります。この帯水層は主に砂れき層(砂やれき(小石)で構成されている地層)で、その厚さは地域により様々ですが、数メートルから平野部では100メートル以上になる地域もあります。また、河川は川幅が広くても1キロメートル程度ですが、帯水層の幅は、平野では地域によっては何十キロメートルの幅もあります。以上のように、地下水の水量は莫大であり、通常の利用では枯渇することがないことがお分かりいただけたと思います。
    日本では、梅雨時から夏季に降雨が少なくダム湖の貯水量が減少して、これを水源とする水道施設では給水制限が行われることがあります。しかし、地下水を水源とする水道施設では記録的な少雨になっても地下水の量はほとんど低下せず、給水制限が行われることはありません。日本では、地下水を水源にしている水道施設は多く、日本では4人に1人が地下水を飲料水などの生活用水に利用しています。県庁所在地では、人口70万人の熊本市、40万人の岐阜市ではすべて地下水が上水道の水源になっています。
    しかし近年では、地下水を涵養する役割を果たす水田が減反政策のため水を貯めなくなり、また地表面がアスファルト舗装されて雨が地中にしみこまず川に直接流出する割合が増えてきているため、長期的にみると地下水の涵養量は減少しています。地域によっては、湧水が出なくなったり井戸が枯れたりする現象はみられます。一方、日本人の食糧の生産基地の一つである北アメリカでは、地下水を利用して食糧生産が行われていますが、揚水される地下水は1,000年以上も前に地下にしみこんだ降水であり、過剰揚水が指摘されています。近い将来、アメリカの地下水の枯渇が我々日本人の食卓にも影響が出ることも懸念されています。

「年間地下水流出量」とはどういう意味ですか? また「量」とあるのに、なぜ単位はmmなのですか?


日本最大の地下水系を教えてください。

    「日本最大の地下水系」は極めて難しい質問であり、明確な回答をするだけの資料、情報量が国内にはありません。一般に、地下水が豊富にある地域は扇状地と呼ばれる地形が発達した地域です。扇状地は、大きな河川が山地から平野への出口付近にできる粗い礫や砂で形成された扇形に拡がった地形で、全国どこにでもみられます。大きな扇状地は大量の地下水を蓄えており、富山の黒部川、静岡の富士川、熊本の白川などの扇状地が特に有名で、多量に揚水され利用されています。また、扇状地に続く沖積平野も地下水が豊富で、濃尾平野、筑紫平野などでも地下水が豊富です。
    以下に示す、国の機関から全国の地下水に関する情報が発信されており、地域別の地下水利用状況の概要を知ることができるのでご参考ください。

    国交省水資源部:毎年「日本の水資源」が出版(Webサイトに全文掲載)、全国の水資源の利用状況が地域別に分かります。
    環境省:「全国地盤環境情報ディレクトリ」(Webサイトで公表)、地下水の揚水による地盤沈下に関する情報提供がメインですが、地下水の利用、取水状況を知ることができます。
    経産省経済産業政策局:「地下水対策の概況(H21年版)」(Webサイトから全文入手可)


地下水は一般的に等高線に直交するように流れるのですか?

    一般に自然状態においては、浅い深度に存在する地下水の流れる方向は地表面の傾きと調和的であることが多く見られます。従って、地下水の流れを調べるための井戸の情報などが無い場合には、地表面の傾きから概ねの流れ方向を推定することができます。
    ただし、地下水の流れは地質構造に加え、付近の地下水利用実態、地下水の涵養機構、周辺の河川など様々な要素の影響を受けます。このため、地下水の流れをより正しく評価するためには、これら諸要素を勘案した判断が必要です。


地表面から浸透した水(降水など)は蒸発によって失われますが、地中の浅い深度に灌漑した水は必ず地下水へ辿りつきますか?

    以下は1つの考え方としてご参考にしてください。
    地表面から地中へ入り、地下水面にまで達する水(=土壌水)は、鉛直上方に動くポテンシャルをもつものと、鉛直下方に動くポテンシャルをもつものに区分できます。この境界をゼロフラックス面と呼びます。ゼロフラックス面は土壌の水分状態や温度、地表面の日射や風速等の環境条件によって位置(深度)が変化します。例えば降雨時はゼロフラックス面は地表にあり、時間が経過するにつれて徐々に深い深度へ移動していきます。(ゼロフラックス面が2つある場合もありますが、ここでは説明を省略します)
    ゼロフラックス面より深い土壌水は蒸発することがありません。つまり地表(地中)から灌漑した水がゼロフラックス面よりも深い深度に移動すれば、必ず地下水 へ辿りつくことになります。
    なお一般的に土粒子が細かい土壌ではゼロフラックス面が深く、砂などの土壌では浅い傾向にあります。砂では通常、深度20〜30cmより浅い部分に位置すると思います。粘土質の土壌では深度1mよりも深いケースがあります。砂の様なゼロフラックス面が浅い場合の方が、降水が地下水へ到達する確率が高いと言えるのではないでしょうか。一方で、灌漑深度から毛管力などによりゼロフラックス面よりも鉛直上方に移動する水が存在した場合は、その水は常に蒸発するポテンシャルを持つことになり、地下水へは辿りつきません。せっかく灌漑しても蒸発して失われてしまうのでは意味がありませんので、地中灌漑を行う際は、ゼロフラックス面が位置する深度をきちんと把握することが重要と� �います。ただしゼロフラックス面は常に位置が変化する性質のものですから、管理するのは容易ではありません。


雨が地表から浸透し地下水になって地中を流れ、川や海に出るまでどれくらいの時間がかかるのですか?

    地下水は主に帯水層中の間隙や岩石の割れ目を流れています。その流れる速さは地層や岩石の間隙の大きさや、こう結作用(砂を砂岩に変える作用)の進み具合によって、比較的透水性の大きい地層や岩石の中でさえ、数オ−ダーの違いがあります。
    地下水も河川水と同じように高い所から低い所へ流れます。その速さは、1年間に数メートルから数百メートルであり、地形や砂や石の粒度によって大きく変わります。河川水に比較すると非常に遅いことが分かります。
    地表に降った雨などが地下に浸透し、直下の帯水層に到達する時間は、せいぜい数日から1か月程度ですが、帯水層を流動する速度は遅く、上記のように1キロメートル流れるのに、何年もかかります。つまり、地下水が涵養されてから流出するまでの時間は地下水流域の地層や岩石の性質により異なりますが、数ヶ月〜数百年、さらに地下数百メートル以深に存在する地下水はもっと長い時間かかります。
    一例として紹介しますが、トリチウム(半減期12.3年の水素の同位体)などを使った研究では神奈川県の秦野盆地(更新世の扇状地砂礫層)の地下水は7〜8年、富士山の山麓(約1万年前の溶岩流)の湧水は数年〜十数年かかるとされています。

地下水が何年前の水か(雨として降ってから何年経っているか)を調べる方法を教えて下さい。

    地下水の年齢の一般的な測定方法は、対象とする試料(水)の中に含まれるトリチウムと呼ばれる放射性物質の濃度を測定します。トリチウムは、宇宙線の働きによって大気中で生成する天燃の放射性物質です。生成したトリチウムは大気中で雨や雪に溶け込み、降水として地上の降り、さらに地下に浸透して地下水になります。トリチウムの半減期は約13年で、半分が放射能をもたない物質に変化します。言い換えると、雨が地上に降って、地下に浸透してから、13年後にはトリチウム濃度が半分になります。26年後には4分の1になります。このように、地下水のトリチウム濃度を測定して、現在の雨のトリチウム濃度と比較することにより、地下水の年齢を知ることができます。
    ただ残念なことに、この数10年、100年前から現在まで雨� ��トリチウム濃度は、過去の原爆実験の影響で一定でありません。このことが、正確な年齢を出すことを困難にしています。従って、現実には30年前、40年前といったはっきりとした年齢を出すことはできません。結果は「50年より前の古い水」のような表現になります。
    測定は水に含まれるトリチウムのもつ微弱な放射能であり、測定機関も限られてしまいます。財団法人放射線計測協会(茨城県東海村)などにお問い合わせ下さい。


地下水に「新しい水」「古い水」といった分類はあるのですか?

2012年4月24日火曜日

哲学的な何か、あと科学とか


飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記)
2012年4月13日
「史上最強の哲学入門」がついに『教科書』にッ!

『バキのノリで解説する哲学入門書、カバー絵は板垣恵介』
という記事がニコニコ動画のニュースに掲載されたところ、
それをきっかけに、ツイッター上で、
「なんだそれwww」とリツイート祭りが。

そんな流れのなか、

「教科書欄の 飲茶『史上最強の哲学』ってやつがすごい気になる」
「著者ヤムチャだもんな」

2012年4月23日月曜日

グリーンビル(サウスカロライナ州)航空券 詳細情報 | エイビーロード | *《成田発着》★ANA 全日空★【週末ス




商品コード:1NH2USAPXS

2都市(オープンジョー区間あり)
  • ※赤字:直行都市
  • 太字:検索都市

ロサンゼルスシアトルラスベガスポートランド(オレゴン州)サンディエゴバンクーバーサンフランシスコシカゴアトランタミネアポリスボストンダラスデトロイトトロントモントリオールオタワワシントンD.C.ニューヨークマイアミオーランド(フロリダ州)アルバカーキアバディーン(サウスダゴダ州)ユーリカアライアンスアラモサアマリロアンカレジアスペンウォータータウンオースチンスコッツビルベーカースフィールドビリングズビスマルクボイジーバーバンクボーズマンブリッジポート/シャドロン(ネブラスカ州)クレセントシティコーテズチコカールズバッドモアブコディーコロラドスプリングスキャスパーチェーニーDODGE CITY.KSデンバーディッキンソンデュランゴKEARNEY.NEベイルエル パソユージンファーゴフレズノファーミントンスーフォールズGILLETTE.WYガーデンシティスポケーングランド フォークスグランド ジャンクショングランドアイランドグリーンビル(サウスカロライナ州)グレートフォールズガニソンヘイデン/スチームボートスプリングスHAYS.KSウィチタ アイダホフォールズインペリアルインヨカーンジャクソン(ワイオミング州)ララミーノースプラッテリベラルクラマス フォールズリンーカンルイスタウンMCCOOK.NEメッドフォードモデストマイノットモントレーミズーラモントローズオクラホマシティオマハオンタリオ(カリフォルニア州)ノースベントページフェニックスPRESCOTT.AZパスコ(ワシントン州)パームスプリングスプェブロ、ラピッド シティレディング(カリフォルニア)レッドモンドリバートンロック スプリングスリノサン アントニオサンタバーバラSAN LUIS OBISPO.CAスティームボート スプリングセント ジョージシェリダンサンノゼソルトレイクシティサンタ マリア(カリフォルニア州)サンタアナテルライドタルサツーソンバーナルエドモントンレジナユマウィニペグサスカトゥーンカルガリービクトリア

グリーンビル(サウスカロライナ州) 航空券詳細情報


2012年4月21日土曜日


</head><body bgcolor="#FFFFFF" link="#4682b4" vlink="#b0c4de" id="readabilityBody" > <h2>1.序論</h2> <blockquote> 旅の支度をせよ 旅の支度をせよ<br/>旅だ、 旅の用意だ<br/>旦那の勝手 旦那の勝手 ケヤの勝手 </blockquote> <p> ケニアのドゥルマ族(註2)のあいだには、白人(muzungu)と呼ばれる憑依霊(pepo)が存在する。そのうちの一人、「ケヤの白人(muzungu wa keya)」★1は、この歌にも歌われているように、銃をかついでブッシュをあてもなく常に旅して歩いている。もう一人、「ムミアニの白人(muzungu wa mumiani)」と呼ばれる霊は、白い半ズボンに白い上着を着て黒人の従者を従えている。水泳を好み、川のほとりや水辺に出没する。一説によると彼はドゥルマの人々を捕えてはモンバサの工場に連れて行き、血をぬきとってその血を輸出しているともいわれる。 </p> <p> 彼ら「白人」は、他の憑依霊たちと同様、しばしば人々にとりつき彼らを病気にする。そしてその治療儀礼の席上で患者の口を借りて自分たちの雑多な要求を伝える。こうした要求がのまれると病気は治るが、以後患者はズボンと上着を着用し、白人が被っているような帽子をかぶり、卵を皿からスプーンを用いて食べるなどといった、「白人にふさわしい」振舞いをすることが要求される。こうした振舞いは「白人」を喜ばせ、患者が再び病気になるのを防いでくれる。人々は患者が「白人」を「信心する(kp'amini)」★2ようになったと語る。 </p> <p> ドゥルマ族のあいだには、この「白人」の他にも数多くの憑依霊(pepo)が存在する。憑依霊たちは人々の思惑とは無関係に無差別の攻撃をくりかえし、それによって引き起こされた病気の治癒とひきかえにさまざまな要求を人々に課す。被害者の側には何の道徳的落ち度も、特に思いあたるふしもないのがふつうである。人々の言い方にならえば、憑依霊は単に特定の個人に一方的に「惚れ(kutsunuka)」彼を「捕える(kugb'ira)」のである。こうして捕えられた人々は、病気がなおった後も、それぞれの憑依霊にふさわしい振舞いを採用するよう強いられる。 </p> <p> 憑依霊によって引き起こされる病気、「憑依霊の病い(ukongo wa pepo)」の治療にあたるのは憑依霊の呪医(muganga wa pepo)と呼ばれる専門家たちであるが、こうした専門家自身、かつて幾つかの憑依霊にとりつかれ、回復後に自分を捕えている霊にふさわしい振舞いとして治療行為を行なうように定められた人々である。彼らは治療に際して幾許かの報酬を受け取り、ときにその額はかなりのものになるが、これとて憑依霊によって定められた事柄に属しており、これに逆らって無償で治療を行なう「良心的」な呪医を待っているのは、再び彼自身の病気だということになるのである。このように、憑依霊の病いにかかったものは彼に病気をもたらした霊に対して、一生をつうじた関係に入ることになる。 </p> <h2>2.周縁的精霊憑依</h2> <p> ドゥルマ族の憑依霊信仰は東アフリカというコンテクストのなかでは、けっして特異な信仰形態ではない。それはルイス(I.M. Lewis)がさまざまな意味を込めて「周縁的精霊憑依(peripheral spirit possession)」と呼んだ、東アフリカにも広く見られる憑依霊信仰の一部をなしていると考えることができる(Lewis 1971: 31)。彼によると周縁的精霊憑依の「周縁性」は次のような特徴によくあらわれている。(1)精霊はもっぱら、あるいは主として、男性優位の社会における女性、成層化した社会における下層民といった具合に、社会の周縁的な構成員にとりつく。(2)精霊の振舞いは気まぐれで、被害者の道徳的責任は問われない。精霊は社会構造や道徳規範を維持する点で何の役割も演じていない。(3)精霊はしばしば当該社会の外部に起源をもつと考えられている。この三つは必ずしも論理的なつながりはもたないが、ルイス自身が調査したソマリ族のサール(sar)信仰をはじめ(Lewis 1969)、彼が問題にするいくつかの典型的なケースでは確かにはっきりと結びついてあらわれる。 </p> <p> 彼によるとこうした周縁的精霊憑依は社会的弱者にとっての一種の間接的抗議手段、「遠回しの攻撃戦略(oblique aggressive strategy)」になっているという。つまり精霊憑依は、そうでもしなければ自分を認めさせ要求を聞き入れさせるための通常の手段を持ちあわせていないような社会的弱者や被抑圧者、とりわけソマリのような男性優位の社会における女性たちにとって、彼らの利害にぴったりの形で機能しているというのである。 </p> <p> こうした結論を導くにあたって、ルイスは次の二つのことを想定している。(1)精霊が患者の口を通じて課す要求は、実は患者自身がもっている要求である(それ以外の何でありえようか)。(2)患者は憑依状態において彼女の日常においては決して許されないような地位の上昇を味わう。彼女は丁重に扱われ、その発言のすべては精霊の権威をもって尊重される。これこそ患者が求めているものに他ならない。同様の前提は、ルイスの分析に刺激を受け、それを修正ないしは精緻化しようとするいくつかの試みにも共通してみられるものである(Wilson 1967, Gomm 1975, Constantinides 1977)。 </p> <p> このように、すべてに個人的利害の「偽装」を嗅ぎとってしまう見解が、完全に的外れだというわけではない。実際、露骨に自らの物欲を満たすため精霊に憑依されたふうを装い、それが露見してひどい目にあった女性の例などがこの種の信仰に注目した最も初期の研究以来報告されてきているし(Lindblom 1920)、ルイス自身もこれに類した事例を報告するのに余念がない。当の社会の男たち自身、女性に対するこうした疑惑をあからさまに表明しているというのである(Lewis 1969:207-209)。 </p> <p> しかしながら、我々にとってこれが的外れでないと言えるのは、そもそもいかなる制度も、程度の差はあれ、その「個人的利用」に道を開いているものだ、というなかば自明の事実を追認する限りにおいてである。ある制度の隠された道具性を指摘することは、法学者ハート(H.L. Hart)が「内的見解(internal view)」と呼んでこうした「外的見解(external view)」と区別したところの、その制度の論理に即した制度理解をもたらしてはくれない(Hart 1961:86-88)。そうすることはいわば、結婚詐欺師の行動規準によって結婚という制度を理解しようとするようなものである。 </p> <p> さらに話をドゥルマ族の例に戻すと、こうした形での解明が精霊憑依の理解にとって特に有効であることを疑わせるような諸事実にぶつかる。第一にここでは精霊憑依を特定の人間のカテゴリーに結びつけるような単純な関係は見いだされない。たしかに人々は女性がその「知性(achiri)」と「力(nguvu)」の欠如のゆえに憑依霊の要求に屈しやすく、憑依霊たちの格好の餌食になるという。憑依霊と人との関係は一種の「争い(maneno)」ととらえられており、憑依霊の側でも当然くみし易い相手を選ぶであろうと類推されているのである。実際には人々は、自分は憑依霊にとりつかれることはないという根拠のない自信と確信のなさとの間をゆれうごいており、ひとたび現実の憑依霊の攻撃の前にあってはすべての人間が男女の別を問わ� �無力であると認めているのである。こうした信仰のもとでは、憑依霊の病いにかかって治療をうけている人々は、彼らの言い方を借りれば、憑依霊に「屈服し」敗北を自他ともに認めている人々であり、彼らの弱気や自信のなさをア・ポステリオリに取り出すことは常に可能である。しかしだからといって彼らを社会的弱者であったというとすれば、それは循環論法を持ち込むことになろう。少なくとも精霊憑依の実際例において特に女性が多いという結果は、私の限られた資料からは出てこない★3。 </p> <p> またドゥルマ族のあいだでは、憑依霊の病いは、ごく普通の病気の症状で始まり、心的分離やヒステリー様の発作のような、他で報告されている精霊憑依に特徴的な症状によってそれと知られるわけでもない。従って精霊憑依を、何らかの問題状況に対する個々の患者の自然な心因反応に還元することもできない。それを単純に、社会的コンフリクトの病いであると断定する根拠はないのである。このようにドゥルマ族のあいだでは、憑依霊による病気と社会的諸変数との関係は、あったとしてもせいぜい間接的なもので、しかもきわめて見えにくくなっている。 </p> <p> ドゥルマ族の例は、こうした事実を別にすると、東アフリカに広くみられる「周縁的精霊憑依」とあらゆる類似性を示している。この点でそれは、ルイスらの分析によってはとらえ切れない、憑依霊信仰の諸々の問題点をかえって我々に気づかせてくれるかもしれない。本論ではこうした問題の一つを取りあげ、検討してみたい。 </p> <h2>3.ドゥルマの憑依霊の世界</h2> <p> 神、祖霊の妻、犬、ライオン、先生、葬式、牛追い、鶏、妖術の呪薬、山、マサイ族、カンバ族、アラブ人、白人、死体、....この一見とりとめのないリストがドゥルマの憑依霊の世界の一端を示している★4。憑依霊は総称では pepo と呼ばれるが、会話などではドゥルマ語で「動物」を意味する nyama という語によって語られる。憑依霊の活動の主な舞台はブッシュで、水辺や古木のうろ、岩穴などを特定の住処とするものと、場所を一定せずさまよい歩いているものとに分かれる。その活動の点で「肉体を食らう霊(nyama aryao mwiri)」と「子供を食らう霊(nyama aryao mwana)」に分られるが、同じ霊が両様の活動をする場合も多い。精霊憑依が問題になるのは前者の場合である。憑依霊には男女の性別があるが(なかには男女の対で存在するものや両性具有のものもある)、別に男の憑依霊が女性に憑き、女の憑依霊が男性に憑くといった区別はない(註3)。各々の憑依霊は冒頭で「白人」についてみたように、それぞれ固有の衣装や持ち物、行動様式(一括して chiryangona と呼ばれる)や食物(karamu)をもち、それらを自分が憑いた病人に要求する。 </p>

2012年4月20日金曜日

ハイキャリア - 通翻訳者リレーブログ


いぬ
幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。<2008.4.1 start!>

さるるん@ロシア
米系銀行勤務後、米国留学中にロシア人の夫と結婚。一児の母。我が子には日露バイリンガルになってほしいというのが夫婦の願い。そのために日本とロシアを数年おきに行き来することに。現在、ロシア在住、金融・ビジネス分野を中心としたフリーランス翻訳者(英語)。
<2008.5.6 start!>

ぺこたん
高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。
<2007.6.1 start!>

みなみ
英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。
<2007.5.1 start!!>

2012年4月18日水曜日

目のクママッサージ|目のクマの原因


目のクマの改善法:マッサージ

○蒸しタオルケア:
洗顔後に、目の周りを「蒸しタオルで温める→水でぬらしたタオルで冷やす」を2、3回ほど繰り返します。少々面倒くさいかもしれませんが、蒸しタオルは小さめのハンドタオルを濡らして、電子レンジで温めれば簡単にできますので、今日は目のクマをスッキリさせて明るい顔で頑張りたいという時にはぜひお試しください。

○マッサージケア:

目のクママッサージではマッサージの専門家やメイクアップアーティストの理論によってやり方が異なります。

【目のクママッサージ1】

両手の薬指を使って、下まぶたの目尻→目頭→上まぶたの目尻と、まぶたのふちを一周します。これを2、3回ほど繰り返します。

【目のクママッサージ2】

目尻に向かうラインに沿って、下から上へと指を動かした後、こめかみあたりで下へと指を動かして老廃物をリンパの流れに乗せる方法。

【目のクママッサージ3】

下まぶたの目尻の側から目頭の方へ指を動かし、鼻筋を上に上って、上まぶたでは目頭から目尻に向かって、つまり内から外へと指を動かし、老廃物をリンパへ乗せるという方法。

メイクアップアーティストによると、3か月ほどで目のクマに変化が見られてくるとのこと。じっくりと取り組んでいきましょう。

2012年4月17日火曜日

ホーキング博士 70 歳、余命数ヶ月の宣告から 50 年をどう生きてきたか


先日の /.J 記事でも触れられていたが、今月 8 日に英ケンブリッジ大のスティーブン・ホーキング博士は 70 歳となった。博士は 12 の分野における名誉学位、大英帝国勲章第 3 位、そして米国の自由勲章を授けられている。類稀なる能力を発揮している人物である彼は 1963 年には運動ニューロン疾患 (MND) と診断され余命数ヶ月を宣告されていた。10 年以上の生存率は 5 % であるというこの病を持つ彼の人生について、博士の 70 歳の誕生日に BBC News の記事で紹介されている (本家 /. 記事より) 。

2012年4月15日日曜日

2012年4月13日金曜日

動物園における「研究」と大学との協力


誰しもが動物園での楽しい思い出を持っていることだろう。動物園は多くの人にとっては一種の遊園地として捉えられている。しかし、現代の動物園の使命は、1993年に国際自然保護連合や世界動物園連盟により公表された「世界動物園保全戦略」の中で、「自然保護センター」とされている(図1)。具体的には、以下のような機能が期待されている。

1.稀少種を保存するためのプログラムの推進
2.種の保存に必要な科学的情報の収集
3.市民に対する環境教育

図1 動物園の役割の変遷(世界動物園保全戦略,1993.)

こうした発想自体は20世紀中盤から提案されており、「楽しみ」はもとより、「種の保存」と「教育」としての役割も果たそうというものである。

日本の動物園も、こうした世界の流れの中で各園がさまざまな形で努力している。その取り組みをより効果的のものにするためには、下支えとして科学的な情報が必要であり、動物園は飼育・展示するだけの施設ではなく、研究をその基盤の1つに持たなければならないということになる。

欧米の動物園における研究の位置付けを考えた場合、まずはその成り立ちが大きく影響している。例えば、最も古い近代動物園の1つと言える英国のロンドン動物園は、ロンドン動物学協会を運営母体として始まった。また、米国のニューヨーク動物学協会(現ニューヨーク野生生物保護協会)が運営母体となってブロンクス動物園が作られた。このように、欧米の主要な動物園は学術的な背景を持つことが多く、獣医学ばかりではなく、動物学を修めた研究者が動物園のスタッフとして参加してきた。

2012年4月12日木曜日

MTの自働保存を無効にする方法


Movable Type 4から、テンプレートの編集時と記事の作成時に、
デフォルトの状態では、5秒間何も操作がない場合、自動保存を行う機能が搭載されています。

 

この自動保存機能を無効にする方法です。

 

 

設定方法

 

FTPクライアントソフト(FFFTPなど)を使って、
Movable Typeの設定ファイルである「mt-config.cgi」を開く。

 

「mt-config.cgi」の場所(※1)は、
対象URL → public_html → MTOS → mt-config.cgi

 

2012年4月10日火曜日

私の寒さを乗り切る方法!? - プライベート | ふじのくに チームかぐや


 

みなさま、こんにちは。

 

寒いですね~ 本当に寒いですね 今年一番の寒さだそうです。

 

そして、この寒いのもしばらく続くそうです

 

その寒さのせいかどうか・・・(笑)

 

いろいろ調達してきたのですが、自分でもうすうす感じているのですが、買い物の内容が・・・"濃く" なってきている

 

我が家の食卓はどうなってしまうのでしょうか